強面顔ながらコミカルな役でも親しまれ、今ではドラマや映画でひっぱりだこの遠藤憲一さん。
「エンケンさん」と愛称で呼ばれ人気のある俳優ですが、他にナレーター・脚本家・タレントと多彩な顔を持っているのはご存じでしょうか?
今日はそんな遠藤憲一さんのご両親の職業や生い立ち、幼少期の家族のエピソードについてまとめました。
- 遠藤憲一の両親(父母)の職業は?
- 遠藤憲一の生い立ち
- 遠藤憲一の幼少期と家族とのエピソード
- まとめ
遠藤憲一の両親(父母)の職業は?
遠藤憲一さんのご両親はどういう方なのか?
過去の出演番組やインタビュー記事などの情報から調べてみました。
- 父親の職業はガス会社の配管工
- 母親はパートで洋服の仕立ての仕事
親子でここまで似てるとはびっくり!
遠藤憲一さんのお父さんはガスの配管工で昔気質の職人さんだったそう。
ガスの配管工でした。職人ですね。若い頃はやんちゃな時期もあったそうですが、家では物静かな人でした。給料は閉じたままお袋に渡していて、遊び歩くこともなく、真面目で素朴な父親という印象が強いですね
日本経済新聞
と日本経済新聞のインタビュー記事で語っていました。
また、母親については過去のメディアや番組などで「とても優しい人だった。」と語っており、職人気質の厳しい父親の陰で洋服の仕立てのパートをしながら、優しく温かい家庭的な雰囲気で家族を支えていたのかもしれません。
遠藤憲一の生い立ち
ここでは、遠藤憲一さんの生い立ちについての情報をお伝えします。
- 生年月日:1961年6月28日(63歳)
- 出生地:東京都品川区
- 家族構成:父・母・本人・妹
幼少期は東京都品川区戸越銀座のパン屋さんを経営する家族に六畳一間を借りて家族4人で暮らしていました。
そこで家族4人寄り添って寝ていたそうです。
両親は共働きだったが家族の経済状況はかなり苦しかったようです。
遠藤憲一の幼少期と家族とのエピソード
- 引っ越しても転校せずに小学校を電車通学していた
- 幼少期から野球少年でジャイアンツファンだった
- 活発でやんちゃな子供だった
- 妹との兄妹仲がよかった
小学校を電車通学
小学校2年生の時品川区から横浜市に引っ越したが、仲の良い友だちと別れたくないという理由から転校したくないと電車通学をして品川の小学校に通い卒業しています。
電車通学を許してくれた両親は寛大ですね♡
幼少期から野球少年だった
幼少期から野球少年でジャイアンツファンだった遠藤憲一さん。
ジャイアンツファンだったが、会費の安さからヤクルトのファンクラブに入っていたそうです。
そして、学校帰りにランドセルを背負ったままプロ野球のナイター観戦してから帰ることもあったそう。
夜の10時になることもあったんだって!
母親は心配しないのかと思ったら「この子は大丈夫!」と信用していて遠藤憲一さんの好きにさせていたようです。
子供を信用する素敵なお母さん♡
活発でやんちゃな子供だった
幼い頃から活発でやんちゃな子供だったとされ、学校生活では優等生タイプでなく時に問題を起こすこともあった。
父親も若い頃やんちゃだったと遠藤憲一さんが語ってましたが、こうしてみると見た目も性格も父親そっくりですね!
お父さんのDNAが濃すぎ!
父親は勉強や生活のことで怒ることはほどんどなかったようですが、高校を中退してアルバイトも辞め家でゴロゴロしていた時は殴られたそうです。
後にも先にもこの一度だけ。
職人気質の父親なだけに、厳しく叱って遠藤憲一さんのダラダラしている態度に活を入れたかったのでしょうね。
妹との兄妹仲はよかった
妹さんの情報はなかったのですが兄妹仲はよかったようです。
過去にTBSの番組「はなまるマーケット」に遠藤憲一さんが出演の際「はなまるカフェ」でゲストのお気に入りのおめざとして遠藤憲一さんの妹のお手製「のらぼう菜の和え物」を紹介し、スタジオに妹夫婦がその和え物を持ってきていました。
野菜嫌いの遠藤憲一さんですが、妹がさっと料理してくれたのを食べたらおいしかったのでおめざに選んだとか。
幼少期狭い部屋で家族寄り添って暮らしていたので、絆の強い温かな家庭だったのがわかりますね。
遠藤憲一さんの息子は玉置玲央さん?
まとめ:遠藤憲一の両親(父母)の職業や生い立ちは?幼少期の家族のエピソードを紹介!
- 父親の職業はガス会社の配管工
- 母親はパートで洋服の仕立ての仕事
- 六畳一間を借りて家族4人で暮らしていた
- 野球少年でジャイアンツファンだったが会費の安さからヤクルトのファンクラブに入った
- 高校を中退しアルバイトも辞め家でゴロゴロしていたら父親に殴られた
- 兄妹仲はいい
「コワモテ」なのに「エンケンさん」と愛称で呼ばれる今や好感度抜群の立ち位置の俳優遠藤憲一さん。
仕事仲間の共演者やスタッフにあたりまえのように気配りができ、みんなから愛されているのはきっと幼少期時代に六畳一間の狭い空間で家族寄り添って過ごした温かい家族との生活が遠藤憲一さんの好感を持たれる人間性を作ったのでしょうね。
やんちゃな時期があったとはいえ、売れない苦しい時代があってもブレイクを模索しながらひたむきに仕事をこなし信頼と好感を勝ち取って今の地位を築けたのも陰で家族の絆と支えがあったからなのだと感じます。